東京五輪と北京五輪で露呈したオリンピックそのものの問題

北京オリンピックが閉会しましたが、やはり失敗に終わった東京五輪に続き、問題だらけだったと思いました。

東京オリンピックでは多くのスポンサー企業がマーケティングから撤退したことや、新型コロナウイルスの感染拡大の中、中止という選択肢ができず、巨大な放映権が招いた酷暑での開催。それによる選手の負担増大などオリンピックそのものの数多くの問題が露呈しましたが今回の北京オリンピックでも問題が露呈したと思っている。

昨年には「ぼったくり男爵」が新語・流行語大賞にノミネートされ、商業主義的なオリンピックそのものの問題や批判が出てきましたが今回のオリンピックでも新疆ウイグル自治区における、人権問題や女子テニス選手行方不明問題、組織委員会による「台湾は中国の一部」発言(政治的発言)など数多くの問題がありましたが、これは現代のオリンピックそのものの問題と言ってもいいと思う。

オリンピックの開催は商業化が進み、多額の費用がかかるばかりか巨大な放映権による特定のテレビ局に合わせた日程・時間帯に左右され、出場選手のことが全く考慮されていない上、平和の祭典という本来の目的が薄れてきているようにも見えます。

現在のオリンピックは「平和」よりも「」という商業主義そのものの問題と言えるかもしれません。

しかしながら、過剰ともいえる感染対策を実行し安全をアピールする、一部に限るが有観客での開催ができたなど、開催そのものは戦略的に成功したといえるかもしれませんね。